紀伊半島豪雨で水没 亡き弟の形見「ギャラン」が奇跡の復活

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往年の名車を復活させ、喜ぶ中平敦さん(右)と中村進太郎さん=三重県紀宝町で2024年4月20日午前11時44分、松田学撮影 拡大
往年の名車を復活させ、喜ぶ中平敦さん(右)と中村進太郎さん=三重県紀宝町で2024年4月20日午前11時44分、松田学撮影

 2011年9月の紀伊半島豪雨で水没し、「修理は不可能」とされた往年の名車「三菱ギャランGTO」(1973年式)が今月、ほぼ当時の姿のままでよみがえった。持ち主だった中平幸喜さん(当時45歳)は豪雨で犠牲になったが、兄敦さん(65)=三重県御浜町=の「弟の形見。何とか修復させたい」との思いをくんだ有志が尽力。豪雨から12年半を経て奇跡の復活を果たした。

 幸喜さんは、和歌山県那智勝浦町市野々で妻と子ども3人の計5人で暮らしていた。豪雨による市野々地区の被害は甚大で、東京で就職していた長男以外の家族全員が自宅もろとも濁流にのまれ亡くなった。

 同県新宮市熊野川町で経営していた中古車販売店前に看板代わりに置いていた幸喜さんの愛車・ギャランも水没。年式が古く、修理も難しかったため、泥まみれの状態で店のガレージに置きっぱなしになっていた。

絶版部品はオークションで

 そんな中、中村進太郎さん(41)=新宮市王子町=ら敦さんの周囲にいる車好きの仲間が「何とかしよう」と、4年前から“ギャラン復活”に乗り出した。複数の業者に断られたが、中村さんの知人で和歌山市中島でレーシングカーのチューニングショップを営む前原敏宏さん(55)の手に委ねることになった。使える部品はそのまま使い、製造終了になっている部品はオークションや人づてで入手。2年がかりで公道を走行できる状態にまで直した。

 中村さんは「いい感じに仕上がった。エンジン音を聞いた時には涙が出た」と振り返り、敦さんは「弟の息吹が感じられるキーやシート、ハンドルがそのまま残されていたのが、特にうれしい」と喜んだ。

 敦さんたちは29日、新宮市下本町2の丹鶴ホールで幸喜さんの追悼セレモニーと、「ギャランGTO復活祭」を開く。当日は午前11時にギャランを含め3台で幸喜さんの店があった同市熊野川町宮井を出発。那智勝浦町市野々の幸喜さんの自宅跡地で献花後、午後1時に丹鶴ホールに到着し、復活祭などを開催する。

 敦さんは「弟の友人らにあきらめずに悲願がかなった報告をしたい。追悼セレモニーだが、旧車好きの人たちにも来てもらってハッピーな会にしたい」と話している。【松田学】

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