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「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。
長井好弘の演芸おもしろ帖
ぶらりと寄席演芸の公演に出かけ、思ったこと感じたことを好き勝手に書かせてもらう。そんなふらふらした日常の中で、唯一心がけているのが「落語、講談、浪曲、その他諸芸を偏りなく、公平に
演者についてはそこそこ幅広く観てきたつもりだが (注1) 、小屋(劇場)となるとおぼつかなくなる。ここ何年かで新しい公演スペースが次々と誕生したが、さて行こうかと思うと新型コロナという邪魔者に出鼻をくじかれてきた。そんなこんなで「いつか必ず」と言い訳しつつ、行きそびれている小屋がいくつもあるのだ。
梶原いろは亭も、僕にとっては「まだ見ぬ寄席小屋」の一つだった。
線路際の小さな演芸場…ホスピタリティは秀逸だった
2019年1月、東京都北区上中里にオープンした全45席(うち6席は立見席)の小さな演芸場。平日昼間に若手の勉強会、週末には東京の4派(落語協会、落語芸術協会、落語立川流、五代目円楽一門会)がすべて出演する寄席形式の会が開かれている。そうそう、2022年公開の林家しん平監督の落語映画「二つ目物語」 (注2) の主要ロケ地にもなった――と、梶原いろは亭についての情報はネットで調べればいくらも出てくる。
だが、これだけでは梶原いろは亭がどんな感じの場所か、はっきりしない。僕の
今年の初め、「梶原いろは亭が5周年の記念興行を催す」ということをSNSで知った。今まで行きそびれていた分を取り戻すいい機会かもしれない。「いざ出陣!」と意気込んでからも、行こうと思った日に野暮用が重なり、けっこうな日数がたってしまった。
結局、僕が今更ながら梶原いろは亭に初見参したのは、4月2日だった。午後1時30分開演、「田辺
交通機関はJRと都電のどちらを使うか。京浜東北線の「上中里」も、都電荒川線の「梶原」も乗り降りした経験がない。だが、僕は迷わず都電を選んだ。隅田川左岸・深川で生まれた「川向こうの東京っ子」は、今はほとんど乗ることがないとしても、子供の頃に慣れ親しんだ都電に思い入れが強いのである。
都電荒川線・町屋駅前から早稲田行きに乗った。「前乗り、後ろ下車」は都バスと同じだ。1両だけの車内は昼間の半端な時間にもかかわらず、かなり混んでいる。老若男女、全ての層が乗っているのは、生活路線として使われているからだろう。
町屋二丁目、東尾久三丁目、熊野前、宮ノ前、小台、荒川遊園地前、荒川車庫前と、荒川区の見知らぬ町々を窓越しに見ながら、梶原まで8駅16分。昔々、通学のために荒川線を使っていたのを思い出した。 (注3)
梶原駅からは徒歩で3、4分だが、歩き出しの方向が分かりにくい。スマホの地図アプリと首っぴきで、ようやく最初に曲がる角を見つけたら、あとはほぼ一本道だった。
JR東北線の線路際に立つ梶原いろは亭は、想像通りの小さな演芸場だ。恐る恐る木戸をくぐると、スタッフの客への対応が優しくて、とても感じがいい。これだけでアウェー感が吹き飛び、あとはもう10年もなじんだ
客席は横長のベンチシートが数列並び、その上に丸い座布団が点々と置かれている。高座はかなり近いので、最後列でも演者の顔や仕草がはっきりとわかる。ドアを閉めるとすぐ横を通る電車の音や踏切の警報がまったく聞こえなくなるのは、防音設備が備わっているからか。さらに、トイレは二つで、中が広くて清潔感があるなどと、場内をチェックしていたら、もう前座の凌々が出てきた。
★田辺一邑一門勉強会
・凌々「一心太助」
・一記「名医と名優」
・いちか「鉄砲のお熊」
仲入り休憩(15分)
・凌天「
・トリ=一邑「長井長義~薬学の父」
奇才・白鳥の作品に挑戦するいちかの意気込み
出てくる講談師たちが声をそろえて「今日はこんなにたくさんのご来場で嬉しいです。何かあったのでしょうか?」と驚いているのはどういうことか。どう見渡しても満員御礼と言えるような客席ではないのだが。
人気者のいちかは、新作落語の雄・三遊亭白鳥作品の「鉄砲のお熊」に挑戦した。
「二ツ目ですから、どんどん新ネタに取り組んで、覚えたネタを何度も高座にかけて精度を上げていかないと。お客様はまたかと思うかもしれませんが、そういう意図をご理解いただいて……。ちなみに『鉄砲のお熊』は先月ネタおろしをしたばかりで、今日が3度目です」
白鳥作品の定番を、重くならず、かといって軽く流すことなく、丁寧に読み込んでいくいちか。笑いあり涙あり、白鳥特有のドラマ性を自分の言葉で表現しようという意気込みが伝わってくる。
凌天は師匠一邑にもらった連続物の台本を「ぜひ最後まで読み切りたい」という。二ツ目になって口調が安定し、聞きやすく、分かりやすくなった。着実に腕を上げている。
トリの一邑は、日本薬学の父・長井長義の若き日のロマンスを軽やかに読む。講談本編とは関係ないが、一邑が「長井、長井」と主人公を呼ぶ場面が何度もあって、幸か不幸か同じ名字の僕はその度にハッと我に返ってしまうのだった。
終演後、見送りに出てきた出演者と木戸の前で談笑しているのは、演芸評論家の保田武宏氏ではないか。「先月この会に来て面白かったから、今月も続けてきたんだよ」と笑う88歳の大ベテラン。目配りと活動範囲の広さに頭が下がる。
帰りの都電で、窓辺に立って見知らぬ荒川区の風景を楽しんでいたら、途中、子供連れの女性が何組も乗り込んできて車内が満員になった。どこかと思ったら荒川遊園地前。「ママ、夜のご飯はサイゼリヤでしょ?」「うふふ、これから帰って用意するのもアレだから、みんなで行こうか」などと、行楽帰りの「あるある会話」があちこちで交わされている。やっぱり都電荒川線は生活路線なのである。
初めての梶原いろは亭が思った以上に好もしい印象だったので、10日後にまた出かけた。平日の昼間に、上方落語の桂佐ん吉と、東京の若手有望株・三笑亭夢丸の二人会を催すという。東西の実力派をあの、すべてがギュッと詰まった空間で聴くことができるというのだから、行かないという道理はない。4月12日の昼下がり、僕は再び都電荒川線の乗客になった。
★佐ん吉・夢丸二人会
・夢丸「あくび指南」
・佐ん吉「桜の宮」
仲入り休憩
・佐ん吉「千早ふる」
・夢丸「
10日後に再訪、東西実力派の2人会で逸品ネタに遭遇
前半は、2人とも旅のまくらが長かった。口火を切ったのが夢丸で「僕は明日、アフリカに行くんですよ……(反応のない客席を見渡し)皆さん、『お前は何バカなこと言ってんだ』という顔してますけど、ホントなんです。世界一周のクルーズ船で落語をやってくれというお仕事で」。なるほど、「旅の船中のエンターテインメント」というのも落語家らしい仕事ではないか。世界一周の旅といっても全部付き合うわけではなく、飛行機で拠点都市まで行って、そこでクルーズ船に乗り込み、何日間か落語を演じて、途中下船して帰ってくるのだという。寄席ファンなら、柳家権太楼のドキュメント落語「ジャンバラヤ」 (注4) を聴いて熟知していることだろう。
「『じゃあ夢丸さんはコートジボワールから乗り込んで』と言われましたが、それは
一体どこなんですか? しばらくしたら、『政情不安なので、モーリタニアに変更しました』って、どっちでもいいです! アフリカという以外、何も知らないんだから。ただちょっと我が身が心配になってきました」
夢丸のまくらに触発されたのか、佐ん吉も国内の旅の仕事での移動について話し出す。
「新幹線は『ぷらっとこだま』という安いチケットでゆっくりと。飛行機はもっぱら格安のLCCです。でもこれは油断できなくて、この間、電車に乗り遅れて空港到着が遅くなったら、もうカウンターに誰もいなくて対応してくれないんですよ」
旅の話をたっぷりした後なのに、旅ネタを演じない佐ん吉。「桜の宮」は、東京の「花見の仇討」と同じ噺。「季節ネタなので、今やっておかないと」ということなのだろう。
佐ん吉の高座を間近で聴いて驚いたのは、その声の大きさと迫力である。夢丸もよく通る声だが、佐ん吉は「すさまじい」というレベルなのだ。本人はおそらく普通に話しているのだろうが、ガンガンと響く大音量で、しかも「圧」がすごい。鍛えられたプロの声だと感心したが、もう少し場所に合わせて微調整してほしかった。
後半も佐ん吉の声の勢いは全く衰えない。やたら元気の良い「千早ふる」。彼の声量なら百人一首の公式競技会でも通じるのではないか。
「さっき佐ん吉兄さんがあれだけ旅のまくらを振って全然違う噺(桜の宮)をしたので、最後は私が旅ネタをやります」
そういって夢丸が語り出したのが「茗荷宿」だ。不人気な旅館に久々に来た飛脚の客が、100両という大金を帳場に預けた。「この金があれば旅館の修繕ができる。まさか盗みはできないので、飛脚に金のことを忘れさせよう」と、宿の周りに生えているミョウガを大量に使った「ミョウガ尽くし」の料理で飛脚をもてなす。古来からの迷信である「ミョウガを食べると物忘れをする」というアレである。翌朝、ボーッとした様子の飛脚は案の定、預けた100両を忘れて空身で宿を出立するが……という、今はあまり演じ手の少ない珍品である。
さほど長いネタでもなく、寄席のトリで演じることはまずないだろうと思っていたので、正直驚いた。ところが聴いてみると、前半に聴いたことがないエピソードが入り、全体もそこそこ長い。立派にトリネタになっているのだ。
終演後、見送りに出た夢丸に聞いたら、「うちの師匠(先代夢丸)のやり方で、師匠は普通にトリでやっていました」というのだ。この長いバージョンの「茗荷宿」が先代夢丸独自の工夫なのか、誰かのやり方を踏襲したのかまではわからないという。これなら普通に寄席のトリで聞いてみたい。ただの珍品で終わらぬ、油断のならない逸品なのだ。こういうネタに出会えるのも地域寄席ならではのことである。
開場から5周年まで行ったことがなかったのに、この4月に2度も出かけた梶原いろは亭。地域寄席らしく、本来の目的は「若手二ツ目の応援」だという。それなら次回は、平日の若手の勉強会に行かねばならぬ。気が向けば途中下車してあらかわ遊園というのも楽しそうだ。