【前田日明(3)】 両親は俺が小学6年生(1970年)くらいから別居し始めて、中学2年生の時、正式に離婚した。小学3年生からは姫路に引っ越していて、親父(正雄さん)は頑張って家を建てたんだけど、離婚した時に家を売っちゃった。「姫路なんかにいられない」って、俺と2人で大阪に引っ越したんだよね。

 離婚するとき「どっちに付いていくんだ」って話があった。最初、俺は母親(幸子さん)に付いていこうかなと思ったんだ。そしたら親父がしおらしくなって「男だから、お母さんの面倒見たるんだろ。それは仕方ない。俺は日本の片隅で一人生きて死んでいくよ」って涙をぽろっとこぼしたんだ。それを見たら急にかわいそうになってさ…母親に「やっぱり親父のとこ行くよ」と。母親は反対したけど、それを押し切って父親のところにいったんだよ。

 うちの親父は俺が「新日本プロレスに入る」って言っても信用しなかった。77年の7月7日に入門して、8月のお盆に山本(小鉄※)さんに言われたから、1回実家に帰ったんだ。その時に(アントニオ)猪木さんからもらったグッチのブーツとか、ルイ・ヴィトン、エルメスとかブランドものを身につけていたから親父は「はぁ…」ってため息ついてさ。「お前もとうとうそういう世界に入ってしまったんか」

 ヤクザの世界に入ったと勘違いしたんだよ。「いや、俺は新日本プロレスに入ったんだ」って説明しても「何を寝ぼけたこと言ってんねん。お前が入れるわけないやろ」ってね。

 それから10年後くらいの話だけど、親父は韓国にいた腹違いの弟を引き取ってきた。産んだ母親が病気で亡くなったらしい。で「かわいそうだから引き取ってきた」。トオルって名前だけど、日本に来たのは小学4年生くらいで、俺が27、28歳の時かな。最初は会ってもしゃべらずにいるんだよ。「誰だ、これ」って聞くと、親父は「近所の子でよく遊びにくんねん」。夜になってもいるから「帰さなあかんやないか」と言うと「実は…お前の弟になんねん」。

 俺に気を使ってか、親父はトオルが「中学校を出たら働かせるから」って言ってきた。でも「そんなのダメだ。やることやってあげないと、将来何も言えなくなる」。それで毎月仕送りして日本の学校に入れて。当時近畿大学付属高(大阪)に情報処理コースが初めてできて、入学金に何百万とかかったんだよね。

 親父が死んだ日(2010年10月11日)って俺、OUTSIDERの横浜文体をやってる日だったんだよ。結局、死に目にも会えなかった。親父とは最期まで全然ダメだった。

※「鬼軍曹」と呼ばれた元プロレスラー

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。